実録 水漏れマンション殺人事件

ある朝、突然、天井から水が降って来た。原因はなんと殺人事件! 水漏れ、殺人、精神障害者、裁判‥‥これは、てんこ盛りの〈マンション被害〉と闘った〈事故物件の大家さん〉=私による本当にあった話です。

⑨失火元が損害賠償しなくていい 国

f:id:RyokoHisakawa:20170515134055p:plain  翌朝も〈水漏れ部屋〉に足を運んだが、上階は、あいかわらず警察が占拠する〈開かずの間〉。落水が止まった以上、原因追及〜原因排除〜修復工事と、トントントンと事を運びたいのだけれどそうもいかず、マンション・ロビーにての〈ワカサギ釣り〉が続く。

 

 そんなある夜、私は、かつて勤めていた出版社の先輩とビアホールで落ち合った。警察は夕方には引き上げてしまうから、夜は待機しても意味がないのだ。

 ビアホールで、週刊誌記者である先輩に事件、事故のあらましを告げると、さすがに事件モノに慣れた彼は、驚きもせずに言った。

「容疑者から、金は取れないと思った方が賢明だね」

 ???

「だって日本っていうのは、失火で近隣に被害を及ぼしても、失火元が弁償する必要のない国なんだぜ」

 私には、原因を作った者が損害賠償しなくてもいいという日本の法律が、にわかには信じられなかった。

「そんなことも知らないの? 『失火責任法』っていうやつだよ。ま、火事と殺人や水漏れは、別っちゃあ、別だけどさ」

「でもさ、少なくとも犯人は上の部屋を持っているんだよ。母親の名義みたいだけど、そのおかあさんは現金でマンションを買っているから、抵当権は付いていないはず。で、母親がいなくなっちゃった、っていうか、殺しちゃったわけだから、部屋は犯人のものになると思うんだよね。だったらマンションを売ってでも、私の部屋を直すべきじゃん」

 私がそう反論すると、先輩はジャーマンポテトを突(つつ)きながら、

「犯人じゃないよ、今のところは容疑者と呼ぶのが正しい。そこんとこ、よろしく」  

 と笑って、今度はこう訊いてきた。

「容疑者ひとりが相続人なの?」

「知らない……」

「調べなくちゃ。それに、仮に彼ひとりが相続したとしても、彼自身が借金を背負っていたら、金の取立てをするのは君だけじゃないからね。債権者が殺到して、君への分配が雀の涙、あるいはゼロってケースもあるんだぜ」

 そこまで言った先輩は、今度は携帯電話で何かを検索し始めた。そして、「やっぱり」とうなずいた。

「いやね、今、君んところの事件をネット検索したんだ。容疑者は無職なんだね。この手の事件は、社会的に疎外された環境にある人が起こすことが多いんだよ。無職ってことは、普通に考えれば金は持ってないわなあ。結局さ、いちばん頼れるのは保険なんじゃない?」

 

 ビアホールから帰宅した私は、夫に国際電話をかけた。事件以来、夫への報告は日課になっている。先輩の話を伝えると、

「キャッチ22(トゥエンティ・トゥ)……」

 夫がつぶやいた。

「キャッチ22」とは、1960年代に発表されたアメリカ小説のタイトルで、戦場における膠着状態を描いた内容から、「堂々巡りで物事が進展しない」時にしばしば使う英語の慣用句だ。

 先輩の言うように保険に頼るとしても、保険金請求には復旧工事の見積りが必要だ。見積りを取るには、水漏れの原因を正確に把握しなければならない。原因を把握するには、捜査が終了しなければならない。

 まさしく「キャッチ22」とはこのことで、父ちゃん、あんたの言う通りなのである。

 

 

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