実録 水漏れマンション殺人事件

ある朝、突然、天井から水が降って来た。原因はなんと殺人事件! 水漏れ、殺人、精神障害者、裁判‥‥これは、てんこ盛りの〈マンション被害〉と闘った〈事故物件の大家さん〉=私による本当にあった話です。

⑧とってもエラい警察の対応

f:id:RyokoHisakawa:20170515134055p:plain  事件、すなわち落水から4日目。

 今朝も落水は止まらず、もしかしたら、延々と水が漏れ続けるのではないかという焦燥感が目いっぱい漂う。『めでたい苗字』や管理人さんと交代で、マンションのロビーに詰める日々である。うちのロビーには暖房が入っていないから、ダウンジャケットやマフラーを分厚く身に纏い、膝掛けを幾重にも腰に巻いてうつむく姿は、まるで凍結した湖上の〈ワカサギ釣り〉のようだ。

 

 お昼時、『めでたい苗字』と2人で〈ワカサギ釣り〉をしていたら、警察官が5、6名、なにやら楽しそうに話しながら上階から下りて来た。

 すわっ!

 私と『めでたい苗字』は目と目で合図し、集団に近づいて行った。2人とも丁寧にお辞儀をし、名刺を渡し自己紹介をした上で、

「いつ頃、捜査をすまされるご予定でしょうか?」

 と低姿勢に尋ねると、それまで楽しげに語り合っていた警官たちの様子が一変。場が一気に静まり返り、集団の中から年配で大柄な警官がいきなり私たちを怒鳴った。

「あんたら、何を考えているんだ! 殺人事件なんだよ、殺人事件。水漏れ? くだらない。さあ、どけどけ、黙って待ってろ!」

 物凄い剣幕だった。

「そんな言い方はないじゃないですか!」

 あまりの威丈高な対応に、思わずカッとなって『年配大柄』に詰め寄ろうとする私を、草食系男子の『めでたい苗字』が制す。

 それでもまだ興奮状態の私に、ひとりの警官が近づいて名刺を差し出し、

「△○警察署、刑事組織犯罪対策課、強行犯捜査係、主任、巡査部長の△×です。大変ですね。ただ、ご存じのように殺人事件であり、我々も取調べ中の事項を他言することはできないのです。今しばらくお待ちください。何かあればいつでも私にご連絡ください」

 と、『年配大柄』とは比較にならない丁寧な説明をしてくれた。どうやら、この人が一番えらいみたいだ。どこの世界でも、威張り散らすのは三下奴と相場が決まっている。

 確かに、この人の言う通りなのだろう。私は待つより他にない。けれども、ここに問題がある。テレビや新聞では、毎日のようにマンションで起きた事件が何かしら報道される。たいていは殺人などの大事件で、警察がきちんと取調べる。しかし、その裏で起きた私に降りかかったような事故は、〈エアポケット〉のように置き去りにされてしまうのだ。

 エアポケット、そう、この表現が私の立場にはとてもふさわしく、今後も私はしばしばエアポケットに落ちていくことになる。被害は甚大なのに、誰からも相手にされないやるせなさやストレスは相当なものだ。私はニュースでマンションの事件を見聞きする度に、その背後で起きているであろうエアポケット被害に思いを馳せる。いっそ、「全国エアポケットの会」を創設したいとすら思ったりする。

 

 午後2時頃、実家で遅い昼食をとっていたら、『めでたい苗字』から電話が入った。 「おめでとうございます。止まりました!」

 ヒャッホー!

「おめでとう」というのもどうかと思うが、この際はまあ、よろしい。

 私は食事を中断し、超特急でマンションに引き返した。室内はまだ湿気がひどいし、床だって濡れていてとても靴を脱いで上がれる状態ではなかったけれど、ぐるぐると歩き回りながら私は、「たいしたことはないな。乾燥したら、畳や壁紙、襖を替えればオーケー」と、軽やかな気持ちになった。

 この考えが大間違いだったことは後日わかるのだが、ここが〈火事〉と〈落水〉の大きな違いである。火事は、被害直後の見た目が悲惨だ。一方、落水は被害直後の様子はなんのことはないが、時間とともにじりじりと被害が広がっていく。

 しかし、そういうことを知らなかったその時の私は、肩の荷が下りたような気持ちで部屋を後にした。

 

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