⑤明けて翌日、水漏れは止まらず
明けて事件翌日。前夜、私はけっこうしっかりと寝た。身体的な疲れもあったけれど、「水漏れなんてそうそう続かないさ」という気楽な思いもあった。だから、早朝に目を覚した時には、じきに『めでたい苗字』から「止まりました」の電話がかかってくるものと思っていた。
けれども、その朝は妙に静かに時間だけが過ぎていった。8時半、待ち切れなくなった私は、管理人さんが出勤する時間にあわせてマンションに向かった。今朝はマンション全体を取り巻く黄色いテープは外されていたものの、外から見てもまだ上階の部屋はテープで囲われていて、すでに大勢の警察官が活動していた。
ロビーに入ると、『めでたい苗字』の姿あり。
「早朝からお疲れ様です」
声をかけながら近づくと、彼は申し訳なさそうに言った。
「残念ながら、落水は止まっていません」
私は、小さくうなだれた。
そんな私に彼が尋ねた。 「大家さん、保険、どうなっていますか?」
意外な質問だった。というのも、マンション住民からなる管理組合の会合では、しばしば階下への水漏れ報告があって、その都度、マンション全体の共有保険で賄ってきたからだ。私は、今回もその方法でいくものとばかり思っていた。
「実は……」
昨日から私は、『めでたい苗字』の「実は……」を何度も聞いてきた。思えばその度に、「実は……」の先には悪い話が待っていた。私は身構えた。
「実は、僕も共有保険で処理するつもりだったんです。それで小社の法務部に報告したところ、今回の事件の場合、〈不可抗力〉ではなく〈故意の破損〉。つまり、人間が意図して壊したという概念が当てはまるので、保険金が出そうもないと……」
筋の通った話ではある。だが、感心している場合ではない。
「そうすると、どうなっちゃうんでしょう?」
「問題を起こしたのは上階の部屋ですから、通常は上階の保険で処理します」
良かった!
「だけど、実は……」
なんだよ、また「実は……」かよ。
「上階の方、保険に入ってないみたいなんです」
ぎゃー!
「なにせ、おひとりは亡くなって、もうおひと方は殺人容疑で警察ですからね。問い合わせようがないんですが、登記上、部屋の持ち主は亡くなられたおかあさんです。ところで、一般的には、みなさん、住宅ローンを組んでマンションを買いますよね。その際、金融機関からほぼ強制的に保険に加入させられます」
話を聞きながら私は、マンション購入時の遠い記憶を辿っていた。言われてみれば、私もそんな経緯で保険に入った憶えがある。
「ですが、亡くなったおかあさんは、あの部屋を現金で買われたんですよ」
現金で全額? 上階は資産家だったのだろうか。
「珍しいケースです。現在、上階の親族を捜索中で、連絡が付き次第、保険について確認するつもりです。しかし、加入していない場合、大家さんの保険だけが頼りです」
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