④上階で何が起きたのか？
その日、街は殺人事件の話題で持ち切りだったそうだ。私自身は、その後もマンションにとどまったので世間を気にする余裕がなかったが、母が幾人もの人から「知ってる？」と訊かれたらしい。
「知ってるどころじゃないわよ。娘のマンションの真上の部屋なのよ！」
言われた相手も真っ青である。人々は、いきなり〈忌中〉の張り紙を見せられたかのように、すまなそうな顔をして立ち去ったという。
事件は、テレビニュースでも報じられたし、その日の全国紙夕刊にも掲載された。その内容をまとめると、上階の部屋で以下が起きたことになる。
＊上階は、後期高齢者の母親と初老の息子の2人暮らし。
＊私の部屋の住人から、水漏れの知らせを受けたA社社員が上階の部屋に赴くと、母親がお腹から血を流して倒れていた。
＊第一発見者のA社社員は即刻110番通報し、最寄りの警察署員が駆けつけた。
＊その場にいた息子が犯行を認めたので、殺人未遂容疑で現行犯逮捕。
＊息子は、玄関付近で母親の腹を刃物で刺すなどして殺害しようとした。
＊母親が搬送先の病院で間もなく死亡したので、警察は殺人容疑に切り替えて取調べ中。
念のために述べると、捜査中のため、これらの事実が警察からマンション住民に説明されることは一切なかった。住民は、報道で事情を知るより他に術（すべ）がない。
そして、報道では触れられなかったことがひとつ。それは、水漏れがなおも続いているということだ。通常なら数時間で止まるはずの落水は、事件当夜も止まることなく、私の部屋に流れ続けたのだった。
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