①すべては、一本の電話から始まった
「もしもし、お宅のマンションが水漏れしているもんで、至急、来ていただけますか? ちょっとね、上階で事故が起きたみたいなんですよ……」
201×年2月△日、早朝八時頃のことだった。里帰り中の実家でぬくぬくと寝ていた私は、一本の電話で叩き起こされた。電話の主は、私が一室を所有するマンションの管理会社。
水漏れ? ちょっと、事故?
まだ夢の中にいるような感覚を抱きながら、私は、とりあえず歯を磨いてマンションに急いだ。 そのマンションは、1992年に購入したものだった。当時、私は独身で出版社勤務。徹夜や泊まり込みの多い日々を送っていた。だから、実家から3駅、幼い頃から憧れていた街に新築マンションが出来た時、私は迷わずその一室を買ってひとり暮らしを始めた。
ところが、マンションに住み始めてから数年後に出逢った結婚相手はアメリカ人で、2001年、私はロサンゼルスに移住することになった。
その時に、マンションを売ろうとも考えたのだけれど、査定を頼むと2,000万円程度だという。購入時の価格は4,240万円。えーっと、それにローンも残っているからその分も引かなくっちゃで、そうすると、えーっと──。どんどん目減りする実入りに、終いには計算するのもバカバカしくなって売却案は却下。以来、賃貸していたのである。
***
如月の寒い朝だった。 電車を乗り降りし、駅前から歩くこと約五分、見慣れたマンションが見えてきた。が、〈見慣れない〉たくさんのお巡りさんも見える。それに、もっと〈見慣れない〉数のパトカーまで見える。しかも、5階建て29戸のマンションの周囲がぐるりと黄色いテープで囲われている。 こ、これは……。 只事じゃないと認識するも、今から思うと、あの時の私は怯えるとか落胆するとか、そういう感情とは反対に、妙に気丈で幾分か元気だったような気がする。「持ち主として責任ある対応をしなければ」と、お巡りさんたちとか、パトカーといった見慣れないブッタイを見た途端に思ったのだ。そう思ったということは、心のどこかで、あの事態を「自分で始末をつけられる」と値踏みしていたことになる。 甘い、甘かった、大甘だった──。 と、現在の私は思うのだが、妙に気丈で幾分か元気だったあの朝の私は、自分を遮るお巡りさんに事情を告げて、颯爽と(だったと思う)黄色いテープを頭の上に持ち上げた。 テープをくぐり抜けマンションのロビーに入ると、20代後半から30代前半と思われるスーツ姿の男がやって来て、私に名刺を渡した。 「△×と申します。先ほど電話した管理会社の者です」 △×? あまり聞いたことのない苗字に名刺をまじまじと見ると、名刺には、この現場にまったくふさわしくない世にもめでたい漢字が並んでいた。 「△×さん?」 「ええ……」 △×さんも、自分の苗字になんだかちょっと恐縮しているみたいだった。この人は、これからも目いっぱい登場するので、今後は『めでたい苗字』と呼ぶことにしよう。 『めでたい苗字』の横には、すでに、私と借主を仲介している不動産屋さんがいて、私たち三人は早速部屋に向かった。 私の部屋は一階にある。外廊下を歩いて部屋の前まで行く。 と、部屋から外廊下にまで水が溢れていた。 何年かぶりに、なつかしい我が部屋のドアに触れる。 と、水滴がいっぱい付いていた。 部屋のドアを開ける。 と、いきなり目の前が真っ白になった。うん? かけているメガネが、一瞬にして曇ったのだった。 こちらで発売中!